第10回
国際的な金融グループや機関投資家の間で、サステナブル(持続的)金融と呼ばれる取り組みが本格的な潮流になってきた。投融資を通じて、産業・企業活動を脱炭素へ促したり、脱炭素移行に不可欠な革新的グリーン技術開発に資金を還流したりする上でカギを握っている。
各国金融監督当局や中央銀行も、気候変動が金融システムに及ぼすリスクを重視し、対応に着手し始めた。欧州の一部中央銀行では保有資産の見直しなどを通じ、自らサステナブル金融に乗り出す動きも見られる。
経済・社会の大転換
日本や欧州連合(EU)などは2050年までに温室効果ガス(GHG)排出量を実質ゼロにする目標を掲げ、米バイデン政権も50年ゼロを目指す。世界最大のGHG排出国、中国も60年までの実質ゼロ宣言を行った。日米欧や中国は新型コロナウイルス後の国際秩序をめぐる主導権確保をも視野に、「グリーンリカバリー」に向け熾烈な国際競争に突入した。
ただ、脱炭素移行は化石燃料に依存した現在の経済社会システムの抜本的な転換を迫るだけに、道のりは決して平たんではない。日本の産業界には50年目標について「『ハイそうですか』と黙ってうなずけるような生易しい話ではない」(大手石油幹部)との声がくすぶる。
世界のエネルギー源を見ても、石油・石炭・天然ガスの化石燃料は、19年で84%と圧倒的な割合を占める。日米中の3カ国で8割台、再生可能エネルギー(再生エネ)の導入が進むEUも7割台に達する。各国・地域は電力部門で太陽光や風力など再生エネへの転換を進めているが、それだけで脱炭素移行は実現できない。
産業別には、高炉用の高温熱源が必要な製鉄業が、GHG排出の多い石炭の代替熱源を模索している。グリーン燃料の導入を迫られている航空・船舶も手探りを続けている。各国は水素やアンモニアの活用、二酸化炭素(CO2)貯留など革新的グリーン技術開発の取り組みを急ぐが、社会実装が可能なコスト実現のハードルは依然として高い。
バイデン大統領は気候変動対策を中心に2兆㌦(約220兆円)のインフラ投資を掲げ、35年までに電力部門のGHG排出ゼロ化や、全米50万カ所の電気自動車(EV)充電ステーションの建設などを打ち出した。EUは7500億ユーロ(約95兆円)の復興基金を創設し、経済成長と脱炭素の両立を図る成長戦略「欧州グリーンディール」の原資に充てる。
日本も2兆円の基金を設け、30年を目途に再生エネや原子力など14重点分野の革新的技術開発と社会実装を目指す。中国も35年までの国家政策をめぐる中長期計画で「グリーン技術」の革新を後押しする方針を明らかにしている。
脱炭素移行には産業界ばかりでなく、市民もライフスタイル(生活様式)の全面的な見直しが求められる。猛暑や豪雨といった気候変動、生物多様性の危機など地球環境問題がますます深刻化する下、人類がライフスタイルを含めたあらゆる経済社会活動を見直さなければ、プラネタリー・バウンドリー(地球の限界)を超える日がいずれ避けられない。
例えば、牛や豚の肥育のための飼料穀物栽培で消費される化石燃料が大量のGHG排出を伴うばかりか、牛などはGHGの一種のメタンガスの発生源になっている。欧米を中心に肉食を見直し、大豆など植物由来の代用肉や昆虫にタンパク源を代替する動きが浮上しているのは、食料システム転換の試みの一環でもある。
石井菜穂子東京大学教授は国際通貨研究所主催のオンラインシンポジウムで、エネルギーだけでなく食料や都市を含めた経済社会システム全体を大転換し、「循環型の消費、生産」を実現する必要性を強調する。そのためには「グローバルコモンズ(人類共有の財産)を守るため、市民やアカデミアの連携を含めみんなで地球を守るとの価値基準が重要」と指摘した。中でも「金融の役割が非常に大きい」と訴えている。
一方、気候変動対策の一段の加速を求める欧州諸国や欧米国際企業、内外の市民団体などの間では「50年までに脱炭素社会移行を実現するには、30年までの今後約10年間が勝負だ」との危機感が高まっている。換言すれば、化石燃料に依存する経済社会システムの見直しは、それほど難しい証左でもある。
事実、国際エネルギー機関(IEA)は20年のエネルギー起源の世界全体のCO2(GHG全体の約7割)排出量が前年比5・8%減になり、第2次世界大戦後で最大の減少幅を達成したが、削減努力を継続しないと21年は大幅増になるリスクを指摘する。20年は新型コロナに伴う移動制限などで運輸部門の燃料燃焼や電気、熱の使用に伴うCO2排出量の減少(前年比14%減)が目立った。だが、21年は経済社会活動の再開によって、大幅増が懸念されると指摘する。
脱炭素技術に資金
こうした中で、サステナブル金融に求められる取り組みの一つが、脱炭素移行による持続可能な社会の形成に向け、金融システムの安定を維持しつつ革新的グリーン技術開発への不可逆的な資金の流れをつくり出すことにある。その点で懸念されるのが、欧米の先鋭的とも受け止められる取り組みが国際標準化する中で、総じて見れば日本の資金の出し手、受け手双方とも「1周遅れどころか2周遅れ」と指摘される点だ。
国際金融情報センターの玉木林太郎理事長は国際通貨研のシンポジウムで、日本の気候変動対策への取り組みは調査対象61カ国中で50位だとする海外調査機関の結果を紹介し、日本が海外で低い評価しか得ていない「現実」から目をそらさないよう求めた。環境価値を重視した「グリーンリカバリー」に関しても「環境投資で成長できるとの理解が日本では多いが、正しくない。成長するには『グリーンでなければならない』という以上の意味はない」と言明。国際社会と日本の認識ギャップにくぎを刺した。
金融面で気候変動を重視する必要性をいち早く説き、対応を先導したイングランド銀行(英中央銀行)のカーニー前総裁は15年、リスク管理のプロ集団であるロイズ保険組合での講演で、気候変動が金融に及ぼすリスクとして、①自然災害が増える物理的リスク②気候変動に絡んで補償請求が増える損害賠償リスク③社会の低炭素化に伴い広範な資産が再評価を迫られる移行リスク─の3点を挙げた。
例えば、脱炭素移行を受け、石炭では既に現実化しつつある化石燃料の資産価値劣化(座礁資産化)が進んだり、温暖化に起因した海面上昇によって沿岸部のオフィスや工場などが水没したりして、関連企業への投融資が回収不能に陥るリスクが排除できなくなってきた。炭素税導入や環境問題による消費者の嗜好変化で、企業の経営環境が一変する可能性もある。
アップルなど欧米国際企業は、脱炭素の取り組みが不十分な企業を国際サプライチェーン(供給網)から排除する方針を打ち出す。仮に日本企業が自社は100%再生エネ利用など十分な脱炭素対応をとっていても、不十分な取引先から部品などを調達していれば、欧米国際企業の国際サプライチェーンから締め出されてしまう。石井氏も「バリューチェーン(価値連鎖)がグローバルなので、国ごとの仕切りは意味がない」と強調する。
脱炭素移行が経済社会システムの大転換を伴うだけに、玉木氏も「脱落する取引先も出てくる。金融機関は保有資産を見直し、きちんと対応していないと深刻なリスクを負う」と警鐘を鳴らしている。
(続きは第12回更新予定です。)
※本稿は「金融財政ビジネス」2021年5月13日号に掲載されました。また、掲載された後、日銀は気候変動に関する取り組み方針等を発表しています。
執筆:時事総合研究所客員研究員 堀 義男(ほり・よしお)
81年時事通信社入社、経済部配属。大蔵省(現財務省)、通産省(現経済産業省)、日銀、財界、商社などを担当。93〜97年ロンドン特派員。経済部・産業部次長、産業部長、編集局専任局長などを経て解説委員。21年4月から時事総合研究所客員研究員。
制作:株式会社時事通信社 総合メディア局